リビング学習

8月は小中学生の全クラスで学力テストを行いました。採点後の授業では、答案用紙を返して問題解説です。「あ~っ! お母さんに怒られる~っ!」という声が聞こえてきます(苦笑)。「大丈夫、一生懸命頑張ったんだから。間違った問題が次できるようになったらいいんですよ…」 毎度のことですが、生徒たちに満足感や悔しさが交錯する場面です。家族など周りの期待があるのも当然のことですが、そのプレッシャーに潰れてしまうのでは元も子もありません。努力してきたことが思うように数字に現れないというのはしばしばあることです。そんな時に重ねて自分を否定されてしまうと、心の持って行き場がありません。まずは頑張ってきたことが認めてもらえることが、何よりも大きな報いです。そして大切なのは、次へ向けて自信を持って歩みを進めていくための材料になることです。

先日『チーズはどこへ消えた?』などの著書で知られるアメリカの精神科医スペンサー・ジョンソン氏が亡くなりました。彼は著書『1分間パパ』で、子どもをよりよく育てるための3つの方法「どう叱り」「どう褒め」「どのように目標設定させるか」を説いています。その中で、親が感情的になって人間的価値まで否定するようなしかり方をしてしまうことが、子どもを傷つけ、親子関係を悪化させてしまうと指摘しています。子どもにその行動は悪いけれど、愛情に変わりないことをはっきりと伝えること、そのままの自分で認められていうことが子どもにとって大きな安心感になります。そこから自分に自信を持って自分を律して行動できるようになるわけです。

さて、「リビング学習」という言葉を耳にされたことがあるでしょうか? 「リビング学習」とは、子どもがリビングやダイニングといった親の目の届く範囲で勉強する学習方法のことです。あるテレビ番組のアンケート調査の結果、東大生の約49%がリビング学習派だったことや、雑誌で東大生の母親が推奨するなどして、にわかに注目されてきましたが、賛否両論あるようです。

《賛成派意見》

・親が子どもの学習姿勢、学習進度、理解度を把握しやすい。

・子どもにとっても親が見守ってくれることで、やる気が高まる。

・疑問に思ったことをすぐに聞くことができ、疑問点を放置したまま先に進むことがなくなる。

・リビングの適度な生活音の中でやることで、かえって集中力を鍛えられる。

・自室で一人でやると他の誘惑に負けてしまうが、親の目があるために集中できる。

《反対派意見》

・子どもの悪い所が目につき、口うるさくなってしまう。

・親が、できないことをしかったり、教え過ぎてしまうことがある。

・家族の会話やテレビの音で、集中が途切れてしまいがちになる。

・音読して暗記するなど自由に学習できない。

・集中できないためにだらだらと長くなり、効率の悪い学習になる。

・リビングが散らかりやすくなる。

さまざまな意見があるようです。子どもの性格によっても色々あるので、一概にどちらが良いと断言できるものでもなさそうです。

塾で毎週行っている「土曜個別補習」にも同じ要素が含まれているように思われます。分からないところを質問できるという点では、塾であるわけですが、他の生徒が質問したり説明を受けている間も、各自が自分のことに集中して学習を進めているわけです。自分のことに集中していると、案外他のことがシャットアウトできるものです。他の誘惑もありません。安心感を持って学習してくれているようにも見受けます。大切なのは、安心して学習に集中できることです。そして子どもたちの心のどこかに、「頑張っている姿を見てもらいたい」という心理があることも忘れてはなりません。思春期になると自分だけの世界を作り始めるので、個室に移行したくなるというのも自然な成り行きです。成長に応じて自分がやりやすい環境を選ぶことができるのが一番でしょう。

鵜飼羽の乾燥

 

文武両道は二流?!

この夏の甲子園は、広島県代表広陵高校の快進撃に胸を躍らせました。残念ながら優勝にはあと一歩届きませんでしたが、前評判がさほど高くなかっただけに、次々と優勝候補の強豪校を破る戦いぶりは、郷土愛あふれる高校野球ファンにとっては、何とも痛快でした。

さて今回の甲子園大会では、山口県代表のチームの監督の発言が、物議を醸しました。雑誌のインタビュー記事の中で「『文武両道』という言葉が大嫌い。あり得ない。」と断言し、野球と勉学の両立については「無理です。『一流』というのは『一つの流れ』」「例えば野球ひとつに集中してやるということ」と語ったのです。この意見に一斉に異論・反論が巻き起こったわけですが、就任前に部員が万引き事件を起こすような荒れたチームを生活面から立て直し、強いチームにしていくには、並大抵の努力や苦労では太刀打ちできなかったものと推測できます。またおそらく愛情を持って接していかなければ子どもたちもついてこなかっただろうとも思われます。ただこのチームは甲子園で、文武両道を標榜する香川県の公立校チームに敗退し、この公立校が強豪校を倒して準々決勝まで勝ち進んだというのも何とも皮肉なお話です。あらためて、学生スポーツとは、何のためのものかと考えさせられます。

数年前、高校を卒業したばかりの我が塾の卒業生たちが立ち寄ってくれたときのことです。中に近隣の公立高校野球部で活躍した生徒が数人いました。そのチームは夏の県大会でベスト8に残るほど活躍したのですが、彼らに聞いてみると、そのチームの監督は守備の際、投手の一球一球の配球のサインまで自らベンチから出していたというのです。「いくら勝てても、全然面白くない野球ですよ!」生徒たちの言葉に驚いてしまいました。

学生スポーツというのは教育の一環ですから、様々な教育的配慮が必要です。小学生、中学生、高校生、大学生という年齢の段階によっても、その色合いは違うかもしれませんし、レベルによっても違うというのも当然のことでしょう。勝ち負けのあるスポーツをするからには、もちろん勝つために練習するのは当然のことです。しかしながら、プロスポーツではないわけですから、勝利至上主義になってしまうと、教育的意義は薄弱になってしまいます。小さい頃から野球が大好きで、高校まで続けた子どもたちから「もう野球はいいです。もうお腹一杯です。」などと聞くこともしばしばですが、そんな台詞を聞くとき、とても残念な気持ちになってしまいます。

スポーツに限らず勉強についても思うのが、何事も「やらされている」うちは本当の力は身に付かないということです。自分の頭で考えて、今自分にとって何が必要なのかを考えながらそれを獲得し、成功につなげることに面白味や達成感を一番感じるものです。そんなプロセスを体験していくことは、その後の人生でさまざまな困難にぶつかったとき大きな力になるはずです。塾での学習でも、ある程度型にはめて指導することもありますが、そこから自分なりのアイディアや工夫をして自分の学習スタイルを確立していくことが最も大切です。それは自分で突き詰めて考えていくところから始まります。受け身ではなく、自ら攻めの姿勢で何事にも取り組んで欲しいと願っています。

ズムスタレフトより