サフラン

書き言葉

先日ある高校の先生を教室に招いて、受験を控えた中学3年生を対象に国語の特別講座を行いました。入試の答案を書く際には様々なルールがあり、場合によっては減点対象となるものもあります。受験生として知らないでは済まされないことですから、みんな熱心に聞き入っていました。

「みなさんは書き言葉を正しく使っていますか?」そんな質問をされると、中には「書き言葉って何?」という生徒も少なくなかったのかもしれません。生徒の書いた作文などを読むと、話し言葉が当たり前のように使われていることに気づきます。いえいえ、生徒に限らず大人も話し言葉と書き言葉の区別がつかなくなっていることが多々あるように思われます。代表的な例を挙げてみます。

話し言葉 書き言葉 話し言葉 書き言葉
やっぱり やはり こっち こちら
もっと さらに こんな このような
やっと ようやく こんなに これほど
ちゃんと きちんと ~けど ~が
いつも つねに ~から ~ため
どんな どのような なので したがって

もちろん入試などでの評価は、中学入試<高校入試<大学入試 といったように学年が上に上がるほど厳しくなるものであり、小学生の文章などでは不問であることが多いというのはいうまでもありません。大人からすれば、「言われてみれば確かに」というところではありますが、これまでに触れてきた文章の大半が、テレビやラジオやSNSである若者世代にとっては、その区別はとても難しいことなのかもしれません。

また、過去にはこんなことがありました。英語の授業でのことです。“My friend’s mother is ….”という英文を日本文に訳したとき、「私の友だちのおばさんは…」となったのです。その生徒はいつも友だちのお母さんのことを「○○君のおばさん」と呼んでいたのです。これは方言というかローカル・ルールのようなものですね。書き言葉では方言ローカル・ルールを排除して標準語で表現しなければなりません。

しかしながら、昨今は標準語自体が揺らいでいるような状況があります。たとえば「ら」抜き言葉です。次の言葉の中で、「ら」抜き言葉がどれかわかりますか?

見れる 食べれる 乗れる
走れる 投げれる 起きれる
来れる 開けれる 出れる

テレビやラジオで話すことを生業としているアナウンサーなどは、しっかりと研修を受けているので正しく話しているようですが、それ以外のメディアの出演者は普通に「ら」抜き言葉を使っているように見えます。公共の電波に乗ってくるものはすべて正しいかのように誤解してはいけません。さて問題の正解はといいますと、①②⑤⑥⑦⑧⑨です。それぞれ正しくすると、①「見られる」、②「食べられる」、⑤「投げられる」、⑥「起きられる」、⑦「来られる」、⑧「開けられる」、⑨「出られる」となります。正しい日本語は③④だけだったわけです。

「ら」抜き言葉というのは、可能の意味を表すために本来は助動詞「られる」をつけるべきところを、代わりに「れる」をつけた表現です。どんな動詞に「られる」がつくのかというと、上一段活用・下一段活用・カ行変格活用の動詞です。「来る」(カ変)以外は、命令形にしてみると簡単に判別できます。命令形にしたとき、「見る」→「見ろ」、「食べる」→「食べろ」のように「~ろ」となる動詞は、「れる」ではなく「られる」をつけなければならないのです。

一方、余分な「さ」が入っているのが「さ」入れ言葉です。たとえば「お先に帰らせていただきます」や「後ほどファイルを送らせていただきます」、「報告を読ませていただきました」など、謙譲の意味を出そうとする場合に見られます。いずれも「さ」を抜いて「帰らせていただきます」、「送らせていただきます」、「読ませていただきました」とすれば正しくなります。

また、二重敬語というのもあります。同じ種類の敬語を2回使っている言葉です。日常生活でよく見られますが、気づきにくく、いつの間にか使っているケースが多いと考えられます。たとえば「おっしゃられる」という表現は、「おっしゃる(尊敬語)」と「~れる(尊敬語)」を重ねて使っています。正しくは「おっしゃる」または「話される」となります。「拝見させていただきます」という表現は「拝見(謙譲語)」と「させていただく(謙譲語)」を重ねています。「拝見します」で良いのです。

さらにこれらに加えて、若者言葉というのもあります。一過性の流行に終わってしまうものもありますが、いつの間にか社会に広く定着し、市民権を得てしまったような言葉もあります。「イキる」=偉ぶって調子に乗っている様子。「エモい」= emotionalに由来する言葉で、心が強く揺さぶられるときに用いる。「ディスる」= disrespectを動詞化した言葉で、侮辱する、軽蔑する、批判するなどの意味。若者言葉を入試やテストの問題用紙に書いてしまうようなことはあまり考えられませんが、普段からそのようなスラング(俗語)に頼っていると、語彙力が貧困になってしまいますから注意が必要です。

言葉は時代とともに変化するものですから、若者言葉や言葉の変化を頑なに受け入れないという姿勢はいけません。言葉の意味を調べる国語辞典でも掲載している言葉の入れ替えを行っています。たとえば「広辞苑」が2018年に10年ぶりに行った改訂では、新たに約1万項目を追加し、約25万項目の収録となったとのことです。新たな発見・発明は新しい文化・文明を産み、それとともに言葉は増殖し、変化し続けていくものであることを反映しています。しかし、基本となる日本語の文法や言葉づかいが重要であることはいうまでもありません。大切なのは、普段から正しい日本語に触れる習慣をつけることです。日本人の思考の基盤となるのが、母語である日本語です。猛烈な勢いであふれているデジタルやAIに駆逐されない人間になるためにも、日本語を使える力を豊かにできるよう、日常生活にちょっとした工夫をしてみてはいかがでしょうか。

沙羅紅葉