みかん

未来の食料

若かりし頃、坐禅をするために禅寺に合宿する機会がありました。坐禅というと、やたらと棒のようなもので叩かれて厳しいものであるというイメージがありましたが、実際はちょっと違っていました。そもそもは、欲や思惑といった自我を極力排除し、ものごとの真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることだとのことですが、理屈や言葉で簡単に言い表せるものではないそうです。警策(きょうさく)という長い棒で肩を打たれるのは、睡魔におそわれたり心が乱れたりした時に自ら受ける場合と、姿勢が悪かったり眠っていたりする人が住職に打たれる場合の二つのケースがありました。実際に叩かれてみると、痛いというよりは背筋が伸びて気持ち良いという感覚だったように記憶しています。

お寺の堂内での生活には色々とルールがありました。歩くときおしゃべりは厳禁で、左手の親指を中にして拳を作り、これを胸に当てて右手でこれを覆うようにする「叉手(しゃしゅ)」という作法で静かに歩きます。ルールを破った者は、住職に仏壇のわきへ連れて行かれ、「喝(かつ)!」と叱られるのです。さまざまなしきたりに興味津々でしたが、なかでも食事は特に印象深いものでした。

禅寺でいただく食事は「精進料理」と呼ばれ、肉や魚介類、卵などの動物性の食材は使いません。これは、他の生命をことさらに奪わない不殺生の戒律に基づいています。しかし、野菜や穀類、海草などの植物にも尊い命が宿っており、食事とはその命をいただく行為であることから、大切にいただかなければなりません。食事中は一切無言で、ゆっくりと集中していただきます。食事に徹することで、食材の命に深く感謝し、また繊細な味をしっかりと感じることができるとのこと。お椀についた米粒などは一切残しません。最後にお椀にお茶を注いで、残しておいた一枚のたくあんを使って洗うようにしてお椀についた食べものをすべてこそぎ取って、そのままお茶と共に飲みほすのです。肉や魚が入っていないから物足りないかというと、そんなことはありません。食べているときふと、「これはとり肉では?!」と思しき食材に出会います。後でたずねてみると、大豆タンパク質を利用したコピー食品だとのこと。精進料理という肉を使えない食事で出会った『人工の肉』だったわけですが、食べた感じは本物の肉と何ら変わりなく、驚かされたことが思い出されます。

バジル花

実はこのようなコピー食品といわれる食べものが、今日では私たちの周りに数多くあるのです。コピー食品としてまず思い浮かぶものといえばカニカマではないでしょうか。最初のカニカマは、1970年代石川県の食品メーカーのクラゲ風味食品開発の失敗から生まれたといいます。その後広島県の食品メーカーが新しい製造法を考案するなどし、カニカマは国内だけなく、世界的な食品へと成長していったようです。今では商品のバリエーションも実に豊富で、本物よりもリアリティーのあるもの多くあり、模造品からスタートしたはずのものが、食材としての地位を立派に確立しているように思われます。

コピー食品はこの他、マーガリン、植物性チーズ、発泡酒、帆立貝風蒲鉾、人工のイクラ等々、知らず知らずの間に日常に食べているものも少なくないのかもしれません。

これらの食品が生まれた背景にはいくつか種類があります。一つは入手が困難でコストが高くつくことから、代替品として作られた場合です。また健康面から摂取が制限される食材の代替品や宗教的理由から制限される食材の代替品として作られた場合もあります。そしてさらに食材の用途を拡大するため、積極的に開発された食品もあります。こんにゃくなどは、古くから刺身こんにゃくとしても親しまれてきましたが、近年はフルーツゼリーや見た目が本物そっくりのマグロやサーモンやイカやレバーなども作られ、原材料としての用途を広げている一例となっています。

そしてこのようなコピー食品の段階からもう一段発展させた概念のもと進められているのが、「培養肉」の研究開発です。「肉」といえば動物の体の一部であるわけですが、「培養肉」は動物の体から取った細胞に栄養を与えて増やし、「肉」らしく成型したものです。正式には「細胞性食肉」もしくは「細胞性食肉加工食品」というのだそうです。前述の大豆タンパク質由来の人工肉が偽物であるのに対し、動物細胞ですから本物の肉といえそうです。もちろん人が摂取するものですから、食品として安全安心であることは大前提です。

「細胞を培養する」といえば、ノーベル賞受賞の山中伸弥氏らが研究する再生医療を連想しますが、実際に培養肉の技術と再生医療の技術には関連性が高く、相互に応用できる部分が多いといいますから、両分野の発展には相乗効果がありそうです。

また培養肉は従来の肉に比べ、20%~90%環境負荷を減らすことができるといいます。「家畜のゲップが地球温暖化に影響を与えている」という話がありますが、これは、家畜のゲップによりメタンガスが多く発生しており、メタンガスは二酸化炭素の28倍の温室効果があることが根拠になっています。排泄物から発生するメタンガスも合わせると、世界の温室効果ガスの年間排出量のうち、約15%が家畜に由来し、交通機関の排出割合約14%よりも多いわけですから、家畜肉から培養肉へと移行することは、カーボンゼロへ貢献するという論理が成り立つことになりそうです。

しかしながら、現状ではハム1枚分の培養肉を作るために約15万円のコストがかかるのだそうです。培養液には糖分、アミノ酸、ビタミンなどの栄養素やナトリウムやカリウムなどの無機塩類なども必要で、これらの元になる大量の作物が間接的に必要になるからなのだそうです。目下国内外の多くの企業が取り組んでいるとのことで、低コスト化への道筋が少しずつ見えつつあるようです。

人類の食に関する社会問題は山積しています。先進国ではあり余る食料を大量に摂取していることが原因で、肥満や生活習慣病が蔓延しています。日本でも消費し切ることなく廃棄される「フードロス」が年間500万トンを超えている状況です。一方、発展途上国の中には飢餓に苦しむ人々が依然として数多くいます。食料の配分が大きく偏っているのです。世界の人口はまだまだ増加傾向にあると考えられています。科学技術の発展だけでなく、私たちの日常でも「命を大切にいただく」精神が求められているのではないかと思われます。

誠之館セミナー眞司