ポプラ並木と青空

読解力の時代

この時期の授業、受験学年・クラスでは過去に出題された入試問題を解く機会が増えます。市内の某中学校の国語の入試問題は特徴的です。大問数は1題、多くても2題。漢字の読み書きは5~6問で、その他の設問はすべて読解問題です。その読解に引用される物語文・随筆文・論説文は比較的易しく読みやすい文章ですが、問題用紙のおよそ6割のスペースを占め、小学生6年生には少々長めに感じられる分量です。記述問題は少なく、選択問題が多いわけですが、この選択問題が曲者です。誤りの選択肢にも、部分的に正しい内容が含まれているのです。問題を解く手順として、まず題材文を読む中で大体の内容をつかんでいくわけですが、最終的に答えを決定するためには、その答えの裏付けとなる部分の確認が必要です。いい加減にやってしまうと、選択肢の正しい部分にだまされて、間違えてしまうことになります。

この中学の国語は、合格者の平均得点率が例年9割程度にもなり、合格者の多くがミスを2問程度におさめていることになります。ですから合格者からすれば「国語は易しい」教科であるわけです。ところが、平均的な小学6年生にとって当てはまることではありません。では合否を分ける差はどこにあるのでしょうか。それは一言でいうと、文章を読む上での精神的な「大人度の差」だと思われます。

文章を読む力をひと口に「読解力」といいますが、その要素はさまざまです。基盤となるのは「語彙知識」を持って「文章を正確に理解する」ことです。しかし、理解するだけでなく、「理解した内容を評価したり、そのとき生じた自分の考えを展開したりする」ことも同時におこなわれるものです。また時と場合によっては「速く読む」ことも求められます。学校のテストや入試では速く正確に理解し、設問に対して適切に表現して答える能力が問われるわけです。

しかしながら、子どもたちの成長速度はまちまちで、ましてや上記のような中学入試の段階では、文章読解力の差「大人度の差」が大きく現れてしまうというのが実情です。だからといって悲観することもありません。なぜなら誰もが大人になっていくわけで、その成長過程において、その差はしだいに縮んでくるものだからです。特に思春期といわれる時期は、身体の成長だけでなく、心の成長が人生で最も著しい時期です。自我の探究とともに他者の気持ちがわかるようになったり、人の考えに触れることが面白くなったりもします。またこの時期に読書も楽しめるようになり、自分の世界を広げ、物事を深く考えられるようになることで、読解力が急成長するものです。

笛を吹く牛

ただ心配なことも報告されています。世界79カ国約90の地域において、約60万人の15歳児を対象に実施された「国際学習到達度調査(PISA)」で、日本の読解力が、2012年に4位だったものが2015年に8位、そして2018年には15位へと急落するなど、子どもたちの文章を読む力の低下が明らかになっているのです。

文科省はこの原因を「SNSなどによる短文のやりとりの増加で、長文を読み書きする機会が減った結果」と分析しました。専門家たちの多くも、全体的な読書量の減少を原因としてあげています。確かに、小中学生に休日や余暇の過ごし方をたずねてみると、「ゲーム」「ユーチューブ」「マンガ」「ビデオ視聴」などがあがってきます。我々が子どもの頃もあったものといえばマンガくらいでしょうか。今の子どもたちのゲームのほとんどはデジタルです。我々の時代のゲームといえば、トランプ、花札、将棋、チェス、オセロ、ボードゲームなどアナログのものばかりで、相手がいなければ成立しないものばかり。兄弟姉妹やいとこや友だちが集まれば、何かしらみんなで楽しめるものを、わいわいとコミュニケーションをとりながら楽しんでいたものです。そのようなみんなで遊んだ記憶は、大人になっても甘美な思い出として心に残っています。

そして一人で楽しむのが本やマンガです。私自身は読書に奥手でした。そうなった原因ははっきりしています。学校の課題で感想文の材料として本を読むくらいしか、読書体験がなかったのです。しかし中学生になった頃、TVドラマや映画になった原作を読んでみて面白くなったことをきっかけに、次々と推理小説やSF小説を手に取るようになりました。本の世界は自分だけのものです。自分だけの世界が一気に広がったような気がしました。今でも本屋さんのあの独特のにおいをかぐだけで、胸をわくわくさせてしまいます。

そんな本の面白さを経験するチャンスが少なくなっているのだとすれば、とても残念でもったいないことです。文字を読んで色々なことをイメージしたり、創造性を育てたりできるのは、人間の特権です。サッカーボールに触れなければサッカーが上達しないのと同様に、言葉に触れなければ言葉を上手く扱えるようにはなれません。しかも、実生活の中で行動できる範囲や体験できることが限られていても、本の中では世界中どころか宇宙にだって、過去にも未来にも縦横無尽に訪れて様々な体験をし、心を揺さぶられる経験ができます。

現代人の周りには受動的に楽しめるものがあふれています。そのような人間が作りだした文明の利器のお陰で、伸ばすべき人間の能力が逆に退化してしまうとすれば、皮肉なことだと言わざるをえません。「これからの時代はAIがますます進化していくので、AIに任せておけば大丈夫!」というような考えもあります。「自動車もAIによって自動運転が当たり前になる」などと言われる時代です。しかし、AIやロボット技術が発達して世の中のあらゆる場で利用されればされるほど、人間は排除されていくことになります。今ある仕事のおよそ半分が、遠くない将来にAIに奪われることが予想されています。たしかに人間よりAIが優れている仕事もあるかもしれません。しかし、AIではカバーしきれない仕事もたくさんあります。AIを活用するのも人間です。ですから、人間にしかできない能力を伸ばすことが求められているのです。それは文章だけでなく、画像や映像、図表、会話、表情、雰囲気、状況…あらゆることを読み取り、思考し、創造し、行動する力です。かつてパスカルが言ったように『人間は考える葦である』なのです。

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