考える力
ある日の授業でのことです。「先生、テキストを忘れました。」「何を持ってきたの?」「別の曜日の科目。」「宿題はやったの?」「・・・」時折見られる光景ですが、生徒たち誰でもあるというようなことではなく、特定の生徒に限って頻発することです。ていねいに考えた宿題を忘れることはまれでしょう。手を抜かずに頑張った宿題は、出来具合を確認したいものですし、自分の考えを披露したいとさえ思うものです。
何か行動を起こそうとするとき、そのための用意や確認は必須です。たとえば日々の学校生活では、宿題や提出課題のチェックをするのは当たり前のことでしょうし、何か特別な行事があれば、普段とは違う準備も要るでしょう。その度に自分で考えて必要なものをそろえたり、やるべきことを済ませたりするのは当然のことのように思われます。ところが、事前に自分の行動を想定して、色々なことをきちんと準備することができるタイプの子と自己管理が不得意なタイプの子がいるのは事実です。
「今どきの子どもの傾向」としてよく言われるのは次のようなことです。
・わからないことに出会うと、考えようとせず、すぐにあきらめてしまう。
・自分で考えたり調べたりしようとせず、すぐ答えを知りたがる。
・自分の意見を言えない。
インターネットやIT機器の普及により、知らないことがあればネット検索ですぐに知ることができます。とても便利なことのように思われますが、おかげで、「なぜそうなるのか」と考えて、その原因や理由を推測したり、推測とは違う事実を知ったときに驚いたり感動したりするというプロセスが薄れているように感じます。確かに「答えがすぐに手に入る」状況では、考える必要がなくなるのは仕方がないことのようにも思われますが、この「考える」プロセスこそが重要であるというのはいうまでもありません。
教育界のスローガンの中心には「考える力を育てる」ということがあります。一般的には「考える力」=「学力」と思われがちですが、学力さえ高ければ世の中を上手く渡っていけるなどということはありません。予測不可能で答えのない問題が、世の中には山積しています。誰も教えてくれないその答えを考えるのは、自分しかありません。
内閣府では、これからの時代に育成すべき資質・能力の柱として、次の3つを挙げています。「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」「何を知っているか、何ができるか」「知っていること・できることをどう使うか」これらを主体性、多様性、協働性、学びに向かう人間性、知識・技能、思考力、判断力、表現力と呼んでいるわけです。そうすると「考える力」とは、「様々なことを自ら理解し判断して行動する力」だといえるでしょう。「生きる力」とも言い換えられそうです。冒頭の生徒のように、ちょっとしたことのようですが、自己管理ができないために学習内容の理解が不十分となり、しだいに勉強に向かうことが億劫になったり、嫌いになってしまうというのはよくあることです。
「考える力」を身につけるためには、日々の生活の中でじっくりと育まなければなりません。親は子どもが外で失敗しないようにと、つい先回りして「~忘れていない?」「早く~しなさい。」「~したらだめよ。」などと口出ししてしまうことがありますが、子どもが考えるチャンスを奪ってしまっていることに気付かなければなりません。子どもは体験し失敗もする中で学び、どう行動すべきなのかを体得していきます。周りの大人は子どもたちを長い目で見守ってあげることが大切です。