雪中初日

国語力

文章の持つ力というのは、表現者の力によって大きく変わります。単なる伝達事項ならば、贅肉をそぎ落として伝えたい情報がわかりやすいように簡潔であるべきですが、読み手を惹きつけたり感動させたりしようとする文章では、語彙や表現の豊かさによって、受け手のイメージが左右されます。また表現者としての技量や伝えたい思いに加え、さらに書き手の人間性までも現れてしまうものです。そのようなことを書くと、今さらながら文章を綴ることに恐怖感を持ってしまいますが(汗)。一方、読み手の方にもそれを読み取る語彙力や思考力が要求されます。コミュニケーション方法は、文字を媒介として「書く」→「読む」だけでなく、音声を媒介として「話す」→「聞く」というのもあります。「読むこと」と「聞くこと」は共通する要素が多いことから、「読むことが上手な人」は「聞くことが上手な人」にもなれます。

国語という教科で学ぶのは、「ことば」とそれを通して得られる「理解の仕方」と「表現の仕方」です。現代社会はさまざまなコミュニケーションツールが登場し、そのツールによって利用するための作法を覚えなければならなかったり、さまざまな情報を読み取って判断しなければならなかったりと、より高いコミュニケーション能力が求められます。そのような時代の変化に対応した内容が、今年度の小学校に続いて来年度(2021年度)から改定される中学校の新学習指導要領に盛り込まれています。国語力というものが知識習得や思考の手段であり、すべての学習の基盤であることから、「語彙」と「情報の扱い方」についてより充実した内容になっています。

「語彙」の指導に関しては、「語彙の量を増やすこと」と「語句についての理解を深めること」を柱にしています。生徒たちがさまざまな語句を自分のことばとして使いこなせるようになるとともに、語感を磨いて豊かな語彙力を育むことを目標としています。

また、「情報の扱い方」では、小学校での内容を引き継ぎ、文章中の「情報と情報の関係」をつかみ「情報の整理」をすることで、それをもとに思考し、判断する力を育もうとしています。情報にはことばだけでなく、グラフや図などを読み取ることも必要です。それらの情報には、必要な情報も不要な情報もあるわけですから、情報を読み取る中で、その場面で最も注目すべき情報を見つけることが求められます。そしてそれを材料として考え、その考えを表現していくというプロセスをトレーニングすることになります。

新指導要領においてより高いレベルの国語スキルの養成を目指しているわけですが、実際の生徒たちに目を向けてみると、国語力の個人差は年々大きくなっていると感じざるをえません。本を読む子は読みますが、読まない子は全くといっていいほど読んでいないようなのです。読めば楽しめるようになるのでしょうが、本よりも簡単に楽しめるものが身の周りにあふれているからです。「スマホとかユーチューブとか自分たちの学生時代には無くて良かった。あんなものが有ったら、自分などは勉強なんてそっちのけで、そればかりになっていたでしょう」と言ったのは、十数年前の卒業生です。中にはけじめを持ってそのような文明の利器と付き合っている生徒もいますが、かつての中高生にはそのように費やされる時間などは確かに皆無だったわけです。

中3生の授業ではこの時期、入試問題にどんどんチャレンジしています。読解問題に取り組む中で解き方のコツをつかみ、これまで国語を不得意にしていたのがうそであるかのように自信をつけている生徒もいます。集中的に問題にあたることで、「こうすればわかるんだ!」というちょっとした自信から、攻めの姿勢で問題に取り組めるようになっていることが大きいのだと思われます。一般に国語の指導は難しいといわれますが、伸び代がある分、得点力アップを望める場合も少なくありません。もっとも、本を読む子は教わるまでもなく設問意図をすぐに把握することができ、その答えの裏付けとなる部分を本文中から手早く探し出し、正解を素早く作ることができます。「もう少し本を読んでおけば良かったなぁ…」生徒の口からはそんなことばももれ聞こえてきます。でも、まだまだ成長の途上です。遅くはありません。

大学入試も大きく変わっていきます。今年新たに始まる大学入学共通テストで、これまでのセンター試験と大きく変わる教科の一つが数学です。まず設問の文章が圧倒的に長くなります。長い問題文を読んだ上で題意をつかみ、数ある情報から必要な情報だけを取捨選択したり、条件分けをしたりして解かなければなりません。まず文章を読むことが億劫な生徒は、簡単な問題さえも答えにたどり着けません。単に『計算ができる』=『数学ができる』という図式は、成り立たなくなりつつあります。

小学校から大学にいたるまでの一連の教育改革は、「子どもたちがこれからの社会で生きていくために必要な資質・能力を育む」ためのものであり、その基盤として不可欠なのが、自分のことばで論理的に思考し、判断し、表現することです。これほどまでに国語力の重要性が高まったことがあったでしょうか。

文字や文章を上手に扱えるようになるためには、勉強として取り組んでいくよりも、生活の中の楽しみとして自然に触れていく方が良さそうです。なぜなら、読書の面白さを知る子どもたちが、苦も無く文章を理解したり、国語のみならず理数系を含むどの教科にも才能を発揮したりする姿を見続けてきたからです。ただ、今は周りにさまざまな誘惑があふれている時代であるだけに、本を手に取り文字に触れることが日常となるためには、そのような環境づくりへの家族や周囲の協力が必須であると思われます。

とんど