2018ニチニチソウ

素朴な疑問と論理的思考力

今年ヒットしたテレビ番組に『チコちゃんに叱られる』(NHK)というのがあります。「好奇心旺盛で何でも知っている5歳児」という設定の着ぐるみの女の子チコちゃんが、日常生活にある素朴な疑問を大人たちに投げかけ、答えに詰まると「ボーっと生きてんじゃねぇーよ!」と叱り飛ばし、その後で専門家たちがその答えを解説してくれるというものです。着ぐるみのチコちゃんの表情はCGによってつくられていて、その技術の高さに感心しますし、チコちゃんの毒舌ぶりも視聴者を楽しませます。しかし何よりも、日頃何の疑問も持たず当たり前のようにとらえていることの多さに気付かされ、それが新鮮で興味をそそられるというのが人気の秘密のように思われます。

確かに子どもたちと話をしていると、素朴な疑問に出会うことがしばしばあります。一瞬「そんなことはまだわからないだろうな」と片付けてしまいそうになることもありますが、質問の中には「待てよ…それってどうしてなんだろうな?」とよくよく考えてみると、その疑問に対する明確な答えを大人でありながら持ち合わせていないこともあるわけです。まさにボーっと生きてきたことを反省させられる瞬間です(苦笑)。

大人は知らず知らずのうちに、「これはこういうものなんだ」と訳もなく知ったつもりになっていることが案外多いものです。一方子どもたちは純粋です。「どうして?」という疑問を素直に大人にぶつけてきます。そんな素朴な疑問を持つことはとても大切で貴重なことです。なぜなら、その理由を考えることこそが、論理的思考力を鍛える基本になるからです。

「論理的思考力」という言葉を聞くと、固くてとっつきにくいイメージを持たれがちですが、決して専門的なことをするわけではなく、何か難しい勉強を指しているわけでもありません。私たちの日常の行動の多くは論理的な根拠をもとに行われています。たとえば、「朝起きて顔を洗い、歯を磨く」、「朝食を食べる」、「身だしなみをきちんとする」、「出会った人にあいさつをする」…本能的なものも含め、私たちが何気なく行う毎日の当たり前の行動でさえも、それぞれに目的や理由がありそうです。そして人がこれからの自分、大げさに言えば将来の自分の行動を考えるとき、常に思考することが求められます。そしてそれはライフステージが進み社会に近づくにしたがって、自らの行動だけでなく、他の人との関係においても、物事について説明したり、働きかけをしたり、提案をしたりするとき、理解を得るためにはこの力が不可欠になります。つまり、論理的思考力は人生を切り拓くための武器になるといえるわけです。

論理的に考えることは、普段の学習においても重要です。「暗記科目は覚えてしまえばいいだけだ」などと昔から言われてきましたが、暗記しただけのことはすぐに忘れてしまいます。しかし、なぜそうなるのかを考えて理解したことは、自分の思考の基盤になり、何度でも自分から取り出して使える力になります。ですから定期試験前の勉強で生徒たちに口を酸っぱくして言うのが、まず「教科書をよく読んで理解すること」です。一方、漢字や英単語などを「何度も書いて覚える」というのもあります。目的によっては有効な手段ですが、いきなりずらずらと書くというのでは、作業にしかなりません。要点をまとめたり、考えを整理するために上手に併用するべきです。

「論理的思考力を身に付けること」は、教育界が今直面している一大テーマでもあります。どの教科でも論理的思考力を問うような問題づくりが花盛りです。2つ以上の資料を読み取って、そこに表れている要素を読み取り、その原因を推測したり、またその推測が正しいかどうかを検証する新たな資料を探したり、あるいは課題を解決するための方法論を考える…そんな問題が公立一貫中高の適性検査に以前より出題されていましたが、高校入試や大学入試でもそのような要素を織り込んだ問題づくりが行われるようになってきています。型にはまった問題を解くだけの力では、実際の社会では通用しないという考えから、さまざまな状況で物事の本質を読み取ったり、状況に合わせて必要なものを取り入れたりして課題を解決する力を育もうとしています。

しかしながら、論理力を磨く基本は自ら考え抜くことです。どんな理屈が組み合わさった問題も、一つひとつの疑問を「なぜだろう?」と自分で考えるところから論理を積み上げていかなければなりません。周りにいる私たち大人は、日頃の生活の中で子どもたちのそんな素朴な疑問を大切にし、考えることが楽しくなるような意識づけをしなければなりません。

シソ花