生きた授業

入試問題に取り組む中で、さまざまな文章に出会います。中学入試の国語の読解問題で宮沢賢治についての文章が取り上げられていました。賢治は37歳という若さで亡くなるまでに、「注文の多い料理店」「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」等々、数々の詩や童話を生み出し、生誕から120年たつ今もなお世代をこえて読まれ、愛されている詩人・童話作家です。しかし、これらの作品が世の人々に広く知られるようになったのは、亡くなった後のことでした。彼は生前、花巻農学校の教諭として4年余り教鞭をとっていた時期があります。入試問題に引用されていたのは、賢治の教師としての姿を教え子たちが回想する内容でした。

賢治先生は身のまわりの事柄と結びつけて、目で見えるように教えてくれたといいます。農作物の肥料として、窒素が重要”という事実を教える際に、賢治先生は次のように教えたそうです。「皆さん、神社などでよく見かけるしめ縄が何を意味しているのかを知っていますか。太いしめ縄の本体は雲、細かく下がっているわらは雨、ギザギザの紙はいなづまを表しているのです。なぜ、しめ縄が神社に奉納されているのかというと、それは豊かな実りを祈るためです。なぜなら、雨と雲と雷は豊作のために不可欠なのです。雲のあるところに雷が発生する。雷が空中の窒素を分解し、それを雨が地中に溶かし込むと、その土地は栄養分豊かな土地になるのです。すなわち、窒素は作物にとって重要な栄養素なのです。それでは、今からこのことを自分自身の目で確かめるために、みなで雷のよく落ちる名所である変電所に行きましょう」こういって、彼は変電所に実際に生徒たちを連れて行きます。「変電所の周りの田んぼには、今まで一度も肥料をやったことがないそうです。それにもかかわらず、ここの稲はこのように穂もたわわに実り、肥料をやっているほかの田んぼの稲よりずっとたくさん収穫量があるのです。この事実は先ほど私が言ったことの裏付けになっています。窒素の重要性がわかりましたか」賢治先生は”しめ縄”という身近なものに注目し、自然現象のカラクリを解き明かし、それを自分自身の目で確かめさせ、教科書に”窒素は肥料の重大な要素のひとつ”とだけ書かれている事実を、生徒の頭の髄から納得させたというのです。

こんな授業で学んだことは忘れるはずがありませんね。彼は最初の授業で生徒たちに、授業で守るルールとして、「先生の話を一生懸命聞くこと」、「頭で覚えるのではなく、身体全体で覚えること」をあげていたそうです。私たちも授業中板書したことを生徒に説明していて、意識が別のことに注がれていたり、内職をしている生徒に気付くことがあります。何よりも視線が物語っています。「いえ、ちゃんと聞いていますよ」という場合もあるかもしれませんが、一心に吸収しようと神経を傾ける生徒とは、獲得できるものが明らかに違っているように思われます。そのような生徒は一事が万事、学校でも態度点でマイナス評価を受けてしまう傾向があります。つくづく「損をしているな~」と感じます。将来社会人となり、ビジネスの世界に入れば、今よりもずっとシビアな目にさらされることになります。

賢治の授業は、教える側の私たちにとって大きな教訓になります。生徒たちが五感を駆使して吸収してもらえるような授業を提供できるかは、教える側の工夫にかかっています。一方、現代の子どもたちは一昔前に比べ、ますます実体験が少なくなっているように思われます。特に小学校までの学習内容というのは、日常の生活の中で体験していることの確認や、疑問の解決、理論づけであるようなことが大いにあるわけですが、実体験がとぼしいために、想像力をはたらかせることができなかったり、勉強が生活と結びつきにくくなったりしているのではないかと感じることがしばしばです。日頃の生活で大人から与えられるのではなく、つまずきながら自分の頭で考え、試行錯誤するというような体験がもっともっと必要です。

科学技術は日進月歩で、教育界でもICT(情報通信技術)を活用するなど、さまざまな教育ツールがあふれる時代になりましたが、宮沢賢治の授業の話にふれ、あらためて先生と生徒が直にやり取りする中で行われる生の授業が一番だと痛感させられます。しかしながら、教える側と学ぶ側のそれぞれがふさわしい姿勢で臨まなければ、本当の意味で「生きた授業」とはなりえません。今後も子どもたちの探究心を育む「生きた授業」をともに追求し続けてまいります。

梅2017