ノーベル賞と日本のサイエンス

今年も日本人のノーベル賞受賞のニュースが届きました。東京工業大学名誉教授の大隅良典さんが「オートファジー(自食作用)の仕組みの発見」でノーベル医学生理学賞を受賞したというものです。生物の体内で、古くなった細胞や外部から侵入してきた細菌などを食べるお掃除細胞のことを「マクロファージ」といいますが、「オートファジー」とは、細胞が自分自身を分解し、栄養源としてリサイクルしたり、新陳代謝したりする仕組みのことをいいます。このオートファジーという現象は1960年代に米国ロックフェラー研究所で観察されながらも、30年近くもその仕組みはわからないままでした。大隅さんがこの仕組みを解明した結果、オートファジー機能を高めたり制御したりすることによる病気治療の研究が始まりました。がん、パーキンソン病、ALSなどの神経疾患、肝炎などのウィルス性疾患、メタボリック…などなど様々な病気の治療へ向け、臨床試験がすでに進行しています。まさに世界に大きなインパクトをあたえる功績だったといえます。

こんな世の中に役立つ大発見をした大隅さんが今一番危惧していることが、「役に立つ」の弊害だといいます。近年国内のサイエンスの世界では、まず「役に立つ」ことが求められ、目先の研究費獲得のための研究ばかり目立つといいます。大隅さんのノーベル賞受賞を受けて述べた、科学技術担当大臣のコメントがそんな風潮を象徴しています。「どのような研究や環境が最もノーベル賞に結びついているのか過去の論文の引用本数をふまえて検証したい」 一方で大隅さんは「基礎研究には20年くらい、最低でも10年の時間が必要だが、短期間での成果達成を目標とすると、面白いから研究をやる、リスキーなことでも取り組むという人が減っていく。」 現在進行中のオートファジー応用の臨床試験47件というのも、欧米を中心に行われているもので、国内で臨床試験に至っている例は全くないのだそうです。何とも皮肉なことです。科学技術の開発というのはお金と時間のかかる代物で、国内の民間企業でも自社で研究開発するのではなく、欧米の会社を買うことで獲得する例が増えているとのこと。これでは日本の科学技術が空洞化してしまうことが懸念されます。

大隅さんの研究は、酵母の遺伝子に無作為に傷をつけて突然変異を起こした酵母を5000種類も作って、その中からオートファジーができない酵母を一つだけ見つけ出し、他の酵母との違いを比較していくという、地道で気の遠くなるような研究を続けた末の成果だったといいます。大隅さんは、有望な分野への重点投資だけでなく、有望かどうかわからない研究に対しても研究費を配分し、長い視点で科学を支えていく社会の余裕が必要だと指摘しています。良い作物をつくるために肥えた土づくりが必要なように、サイエンスのすばらしい果実を実らせるには、科学技術の畑での豊かな土づくりが不可欠だということなのでしょう。

 

 

勉学の秋

10月上旬のある日のこと、折しも中高生は中間考査真っ最中。試験勉強にいそしむ生徒たちの様子を見ようと自習室をのぞいてみると、トイレの中から何やら話し声‼ 「えっ?」 中にいるのはA君一人で、英語の教科書か何かを音読しているようです。他の生徒の迷惑になるまいとの配慮からの行動のようでした(苦笑)。中2の彼は定期考査の時期になると学校への提出物であるワーク類を早めに片付け、それで終わりとせずに、答えの部分を隠して何度も反復しています。教科書をよく読んで理解することも怠っていないようです。失敗したところは彼なりに勉強法を工夫して改善しているようにも見受けます。その甲斐もあってか、2年生1学期の9科目の評定合計は、1年生1学期の合計の1.3倍にもなっています。中学の早い時期より自分なりの学習スタイルを見つけた良い例です。

中3生もエンジンがかかってきました。1学期はまだ進路についても漠然としか考えられなかったものが、この時期になると受験校も具体性をおび、目の色が変わってきています。10月30日には教育ネット21主催の社会一問一答トレーニングジムもありました。その前準備として普段の授業でも小テストを重ねてきたのですが、やるほどに得点も上昇し、その達成感からまた意欲を高めて取り組んでくれています。

当然のことながら、人はそれぞれ能力に違いがあり、得手・不得手もあるわけですから、学習法も違って然りです。定期試験などのたびに我々からも学習方法のヒントは与えていますが、結局のところ勉強というのは自分のものです。意欲を持って自分なりに突き詰めて勉強してみると、「もっとこうすれば良かったな」「こんな方法もあるかもしれない」と新しい自分の領域に踏み込むことができます。水を向けられても「不得意だ」「自分には向いていない」「わからない」「できない」などと「やらない言い訳」ばかり口にするようでは、人間として進歩は望めないでしょう。実際に行動する中で様々なことを実感し学ぶことで、自律した学習ができるようになっていきます。これは勉強に限ったことではありません。スポーツをやっても音楽をやっても絵を描いても同じことです。そして大人になってもやはりそれは同じです。社会は「やらない人間」は求めていません。社会に出るまでにたくさん可能性を伸ばして、「やる人間」になって欲しいものです。

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