2018大予言

ステイ・ポジティブ

平昌オリンピックは、日本選手の大活躍に釘づけでした。4年に一度というスポーツの祭典は、プレッシャーとの戦いだと察しますが、そんな重圧を乗り越えて史上最多のメダル獲得となる健闘は見事でした。

そんな活躍の中で、特に関心を持ったのがカーリングです。興味深いのはワンプレーごとに変化する状況に臨機応変に対応する戦略性です。選手がマイクをつけていますから、テレビ観戦する我々も戦い方についひき込まれます。技術の高さで競う面が大きいのは当然ですが、リンクのコンディションや偶然性の要素も少なからずあります。少々の点差であれば一気に逆転という戦況変化も度々で、大変面白く観戦しました。そんな逆転劇は、女子カーリングチームの銅メダルのかかった大一番でもありました。しかもそれは、ゲームの最終エンド、相手チームの最後の一投で起こりました。相手チームの失敗による勝利ではありましたが、粘り強い戦いぶりの賜物でしょう。

このカーリングで気になる存在がありました。ゲームの勝負所に登場して、プレーについて冷静に指示を出した外国人コーチ、ジェームス・ダグラス・リンド・コーチです。少し調べてみますと、彼は2013年に来日し、日本代表コーチとして本場の技術や戦術について指導。昨年末、選手たちが自信を失いかけて落ちこんでいる時、「私は君たちを信じているのに、なぜ君たちは自分を信じていないんだ」と弱気になった選手を鼓舞したといいます。高い技術や戦術を習得させるだけでなく、選手を信頼し、選手に自信を持たせ、それぞれの選手の個性に合わせてアドバイスするという彼の指導は、初のメダル獲得へと結実しました。彼の率いる日本カーリングチームスローガン「ステイ・ポジティブ」は、そのまま私たちのスローガンにできそうです。

もみじ新緑

字を書くということ

授業中、ふと生徒のテキストをのぞき込んだとき、「え、これ何ていう字?」とたずねたくなることがあります。時には書いた本人さえ読めず、「暗号(特定の人だけに読み取れる記号)以下だね」、「どこの星の文字なの?」などと冗談までいいたくなることもあります(苦笑)。超エリートと呼ばれる人たちの中にもそのような人が多いといわれます。文字の美醜などを気にするよりも、考えを次々と進めることの方に神経が注がれているためでしょう。

「字は体を表す」という言葉があります。人が書く字は、その人の人となりや性格を表している場合が多いという意味ですが、確かに字がきれいな人は、色々な部分で得をしているように思われます。きれいな字の手書きの手紙などは、良いイメージを持たれますし、字がきれいなだけで仕事ができるように見えたりもします。もちろん、字は下手でも仕事ができる人は世の中にたくさんいますので、人格まで評価することが正しいとはいえません。ただ、読む側の印象まで左右するからには、美しくなくとも丁寧に書かれるべきでしょう。

しかしながら、手書きの文字が主流だった時代から、今やさまざまなものがデジタルの時代へと移り変わってきました。メディアは紙に印刷された新聞や雑誌から、デジタル端末で受け取るネットニュースやネットマガジンへ移行し、新聞・雑誌の発行部数は減少の一途をたどっています。本や漫画も電子版が急増し、2017年の電子コミックスの推定販売額は、紙のコミックスの売り上げを上回ったといいますから、時代の流れを感じずにはおれません。 教育界でもICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)を駆使した電子黒板、タブレット端末などの機器、インターネットやデジタルコンテンツを利用した℮ラーニングなどが急速に導入され、入試や資格試験でもコンピューターを利用したCBT(Computer Based Testing)が増加しています。

そんなデジタルの時代に、書くことをそれほど重要視する必要はないだろうという声も聞こえてきそうですが、便利なツールやソフトができればできるほど、それを操る側にも高度な能力が求められます。

最近の生徒たちのようすを見ていると、以前よりも漢字の書き取りの宿題が多くなっているように感じます。書くことが不得意な生徒は、総じて漢字も不得意な場合が多く、相関関係がありそうです。そんな生徒たちにとって漢字の書き取りというのは、単調で苦痛な作業になりがちなのかもしれません。一方漢字に興味がある生徒は、部首の意味や漢字の成り立ちや、すでに知っている漢字や熟語などと関連付けて意味を連想しながら覚えることができます。意味のわからない言葉は、英語でも日本語でも自分のものにはなりません。

言葉や漢字の意味を正しく理解していることは、文章を読み取るうえで大きな原動力になります。漢字がふんだんに使われている文章に慣れている大人が、平仮名ばかりで書かれた文章を読もうとすると、違和感が大きく大変読みにくいというのも、日頃より表意文字である漢字から意味を素早く理解して文意を読み取るのが当たり前になっていることの証拠です。また文章をいかなる方法で表現する場合にも、言葉についての正しい知識が役立つのはいうまでもありません。

冒頭の「字をていねいに書かない人」の中には、理数系教科でも、途中式や考えの過程をていねいに残さないケースが多く見られます。目下進行中の教育改革では、単に答えが正解かどうかだけではなく、考えたプロセスを含めて評価するという学力観に変わりつつあります。答えだけ書いているのでは、間違った場合は、どこでどう間違ったのかが分かりません。考える過程のどこが間違っていたのか、考え方が間違っていたのか、それとも単に計算ミスだったのか…それが分かれば修正も簡単にできます。

物事を論理的に考えるには、一つひとつの考えをステップにして、一段ずつ積み上げていかなければなりません。そのためには、文字・言葉・記号・図表・写真…などあらゆる情報からイメージを想起させ、考えを深化させ、その考えを適切に表現する必要があります。人類が飛躍的に文明を発展させてきたのは、言葉を使って考え、文字を使って考えを伝え合い、さまざまな形に表現して後世に蓄積してきたおかげです。それこそが人の人たる所以ではないでしょうか。テクノロジーの進化に負けないように、人だけに与えられた思考の手立てや道具を大切にして、使いこなす能力を高めたいものです。

苺の花