失敗のすすめ

プロ野球横浜DeNAの筒香嘉智選手が、野球を未経験の子どもたちを対象にした体験会で行ったスピーチの中のことばが目に留まりました。「日本では、野球に限らず、子どもたちに考えさせる=想像力や創造力を伸ばす教育が遅れている。子どもたちが考えを巡らせる前に、指導者や父兄が待ちきれずに答えを教えてしまう例は少なくない。それが子どもたちの将来のためになっているかというと、僕はなっていないと思います。」小学生から高校生の主な野球の大会はトーナメント方式で行われていますが、トーナメントは負けたら終わり。おのずと勝利にこだわった指導になり、長時間練習で発展途上の子どもたちの身体に負担がかかり、怪我の元になることが度々だといいます。また、勝利至上主義は目先の結果にこだわるため、「『こうやって打て』『こうやって投げろ』といった型にはめた指導になっている。そこから創造力は生まれない。子どもは怒られないように大人の顔色ばかり気にしてプレーしている。子どもたちが楽しそうに野球をやっていないっていう光景がすごく多いと思います。」筒香選手は強い危機感を抱いているようです。

このような風潮は、スポーツに限らずあらゆる場面であるように感じます。子どもが何かをしようとする時、周りの大人は失敗しないようにと先回りしてあれこれと手を出したくなるものです。何事も上手く事が運べば良いのは当然のことですが、子どもたちが自ら学習するチャンスを奪っている場合も少なくないような気がします。自分で考えて行動して失敗したことは、「どうして上手くいかなかったのだろう」と体験から感じたことが元になって、考え方に新たな展開を与えてくれます。そして「次はこうしてみよう」という創意工夫が生まれます。そのように試行錯誤して得た成功体験は、生きる術になり、自信になるはずです。自信は失敗を恐れずに次のことに取り組もうとする原動力になるでしょう。一方、大人や他の人から言われるままに行動して失敗した子どもは、失敗の原因を自分の外に転嫁してしまいがちです。また、結果ばかりにこだわると、失敗を恐れて物事に取り組むことに臆病になったり、失敗を隠したりするようなことまで起こってしまいます。直面する困難からいつも逃げていては、人生は豊かなものにはならないでしょう。

かつて「蓄音機」、「白熱球」、「動画撮影機キネトグラフ」、「電話機の実用化」、「コンクリート住宅」など数々の文明の利器を生んだ発明王といえば、トーマス・エジソンです。彼の発明がなければ、現在のような便利な生活をおくることはできなかったかもしれません。彼は一つの発明のために1万回以上失敗したこともあるといいます。そのとき彼は「それは失敗ではなく、そのやり方ではできないということが分かったから成功だ」と言ったそうです。

エジソンにかぎらず、成功者といわれる人が口をそろえて言うのは、失敗の大切さです。それは成功までのプロセスのほとんどが、失敗の連続だったからでしょう。失敗なしに大きな功績をあげた人などいません。チャレンジすればするほど、失敗も増えます。それは取りも直さず、自分を客観的にしっかり見つめ、失敗を教訓として次に生かす機会を得ること、すなわち自分を大きく成長させるチャンスを得ることにほかなりません。大いにチャレンジし、失敗してよいのです。いえ、大いに失敗するべきなのでしょう。

キンギョソウ